私がWEBデザイナーになった理由

2021年で私がフリーランスになってから10年。
かなり今更感がありますが、私がどのようにしてWEBデザイナーになったのか振り返ってみたいと思います。

短大2年(20歳)の頃、自分のHPを持つ

私がインターネットに初めて触れたのは短大生になってからでした。
実家でPCを買い、インターネットを繋いだというのがきっかけ。

当時は個人のHPを作るのが流行った時代。
難しいタグ等なしで、背景や項目を選ぶと簡単にHPが作れるサービスがあちこちにありました。
私もそれを利用してHPを開設しました。

最初は日々の日記をアップしていくだけでしたが、やはり背景等を変更したくなり、
購入したのがタグ辞典とHPの作り方を解説した本でした。
最初は画像一つ入れただけ、背景を変えただけでもとても喜んだものでした。
それが私がWEB制作に携わることになった原点と言えるかもしれません。

22歳の頃、WEB関連の会社に勤め始める

短大を卒業してから地元の幼稚園で臨時講師として働き始めたものの、体調不良で半年で退職。
その後はコンビニのバイトをして過ごしていました。
個人レベルではあるけれど、一通りタグを覚えてHPを作れるようになった頃、
ハローワークでWEB制作のアシスタントを募集しているのを発見。
興味があったのですぐに応募しました。

・・・とは言っても、当時はphotoshopも何もわからない状態。
今覚えば、こんな状態でよく受ける気になったと思います。

しかし、幸運にも採用となり、アシスタントとして入社しました。
契約期間は半年でしたがその後も契約続行となり、福利厚生もついて、気がつけば5年半お世話になりました。
忙しくて毎日残業だった時もあったし、デザインが浮かばなかったりうまく進められなかったりもしたし、
ストレスで帰り道にリバースしてしまうこともあったし・・・。
でも、毎日くだらない会話ができたり、恋愛相談もしあったりと仲間にはとても恵まれた5年半でした。

結婚・・・からの転職

27歳の春に結婚をし、数カ月後にはその会社を退職しました。
その後、市内の小中学校のHP制作と更新指導をする臨時職員として、市の教育委員会へ。
市内の10以上ある学校のHP制作と更新マニュアル作り、更新方法の指導や相談・・・と、
慌ただしかったですが、毎日充実していたと思います。
ちなみに、今現在でもそのHPを各学校で活用されているみたいです。ありがやたありがたや。

職業訓練へ・・・転機となる一言

教育委員会の仕事を任期満了で退職した後、PCの資格が取れる職業訓練教室へ通いました。
そろそろ職業訓練も終わる頃、仕事は何にするか話していると、
「自分でHPが作れるなら、開業しちゃえばいいじゃない」と言われ、「あ、そうか!」と。
先生にもその旨を伝え、早速開業に向けてHPを作ったりし始めました。

2011年1月、webstudio AWDスタート

2011年の年明け、webstudio AWDとしてスタートしました。
最初の数ヶ月は仕事が何もない状態でしたが、現在も取引のある会社様と出会い、現在に至ります。
始めた当初は正直、「5年でも続けばいいんじゃないかな」と思っていましたが、
今では取引先の会社様も増え、毎日忙しくも充実した日々を過ごさせてもらっています。

取引先やお客様も出産や子育て、体調不良の時でもこちらの事情を理解してくださり、
何年も繋がっていてくれること、相談していただけることは本当にありがたいと感じています。

2021年で10年。
これからもできるだけ長く今の仕事を続けていけるように、
技術の向上と情報収集をしていきたいと思います。

「AWD」ってなに?

・・・ってよく聞かれるのですが、

Asako Web Design の略です。

全輪駆動車じゃないよ(違)